私たちの生活に欠かせない「薬」。その多くが、実は植物やカビなどの微生物といった、自然界の生き物たちが作り出す”天然物”に由来することをご存知でしょうか。抗生物質ペニシリンがアオカビから発見された話は有名です。しかし、人類がこれまでに発見してきた天然物は、まだほんの一部。自然界には、私たちの知らない「お宝」となる化合物が、まだまだ眠っていると考えられています。そのお宝を見つけることができれば、新薬を作ることができる可能性が生まれます。
では、どうすればそのお宝を見つけられるのでしょうか。かつては、無数の微生物を一つひとつ育て、その働きを丹念に調べるという、途方もなく時間のかかる方法が主流でした。しかし今、科学技術の進歩が、この”お宝探し”の方法を劇的に変えようとしています。
2025年7月、東北大学の研究グループが、まさに次世代のお宝探しとも言えるアプローチで、これまで誰も見たことのなかった新しい天然物「olumilide(オルミリド)」を発見したと発表しました。この発見は、未来の創薬研究を大きく加速させる可能性を秘めています。
お宝のありかを示す「遺伝子の地図」を使う
今回、研究グループが用いたのは「ゲノムマイニング」という手法です。これは、いわば”遺伝子の地図”を頼りにお宝を探す方法です。これだけでは何を言っているかあまりピンときませんよね。
まずゲノムとは何か簡単に説明しましょう。ゲノムとは、生命の「設計図」まるごと1セットのことです。髪の色から体質まで、あなたという存在を形作るための全ての情報が詰まっています。この壮大な設計図は、私たちの体の細胞一つひとつに大切に保管されているます。
ゲノムには、天然物を作り出すための指示も書かれています。あるゲノムの一部からはある天然物を作り出すような設計図が書かれているわけです。そのゲノムを読み込めば、ある天然物を合成することができます。近年の研究で、特定の天然物を作る遺伝子には、ある程度決まった”特徴”があることがわかってきました。
そこで研究グループは、まるで宝の地図に描かれた目印を頼りにするかのように、膨大な遺伝子情報の中から面白い化合物を作る可能性が高い”目印”を持つ遺伝子を探し出しました。この探索の結果、あるカビの仲間のゲノムから、未知のお宝(天然物)を生み出す可能性を秘めた遺伝子群を発見したのです。

イメージ画像:Geminiで作成
「麹菌」を借りて、お宝を”製造”する
しかし、遺伝子を見つけただけでは、お宝は手に入りません。その遺伝子が、実際にどんな天然物を作るのかを確認しなければなりません。そこで登場するのが、日本人にも馴染み深い「麹菌(こうじきん)」です。
研究グループは、見つけ出した遺伝子群を、安全で培養しやすい麹菌に組み込みました。これは「珍しい部品の設計図(発見した遺伝子)を、高性能な万能工場(麹菌)に持ち込んで、実際に製品を作ってもらう」ようなものです。
この”麹菌工場”は見事に機能し、研究グループの狙い通り、新しい化合物を生産し始めました。これが、今回発見された新規天然物「olumilide」です。
謎に満ちた化学構造を”原子レベル”で解き明かす新兵器
こうして手に入れたolumilideですが、ここで大きな壁が立ちはだかります。それが、化学構造の決定です。実際にどんな構造をしている天然物なのか、確かめないといけないのです。
化合物の構造は、その効果や性質を決める最も重要な情報です。しかし、olumilideは非常に複雑な立体構造を持っており、従来の分析方法では、その精密な形を特定するのが非常に困難でした。
この難問を解決したのが、日本が世界に誇る最新鋭の分析装置です。
従来の構造分析では、ある程度の大きさの”結晶”が必要でした。しかし、複雑な天然物はきれいな結晶になりにくく、分析を諦めざるを得ないケースが多かったのです。一方、microEDは、電子線を用いることで、なんと従来の1000分の1以下の、ナノメートルサイズ(1ミリの100万分の1)という超微小な結晶からでも、原子レベルで精密な立体構造を解き明かすことができます。
この最先端技術のおかげで、研究グループはolumilideの複雑で美しい化学構造を、パズルの最後のピースをはめるように、完璧に決定することに成功したのです。

イメージ画像:Geminiで作成
この発見がもたらす未来
今回の研究成果の意義は、単に新しい化合物が見つかったことだけにとどまりません。
第一に、創薬への新たな可能性です。実際に、olumilideの一種が特定の細胞を破壊する「細胞毒性」を示すことがわかっており、これは将来的に感染症治療薬や抗がん剤などの開発に繋がる重要な第一歩となります。
第二に、安定供給への道筋です。麹菌を使って生産できるため、今後の研究に必要な量を安定して確保できます。天然物の研究では「せっかく見つけたのに量が少なすぎて詳しく調べられない」という壁が常にありましたが、今回はその心配がありません。
そして何より、未来のお宝探しのための”成功モデル”を示したことです。「ゲノムマイニングで予測し、最新の分析技術で解明する」という一連の流れは、今後、世界中の研究者が未知の天然物を効率的に発見するための強力な羅針盤となるでしょう。
私たちのまだ知らない、病気を治す力を持つ化合物が、すぐそばにいる微生物の遺伝子の中に隠されているかもしれません。今回の発見は、そんな夢のある未来を力強く引き寄せる、大きな一歩と言えるでしょう。
【論文情報】
タイトル:Genome mining-based discovery of pyrano[2,3-c]pyrrole type natu
ral products possessing alkyl side chain with branched methyl groups
著者:Yue Shi, Taro Ozaki,* Yohei Morishita, Tohru Taniguchi, Hiroyasu Sato,
Yoshitaka Aoyama, Akihiro Sugawara, Kaho Numata, Tomoya Fuse, Ryo
Matsuda, Kento Hosotani, Hanako Fukano, Yoshihiko Hoshino, Aki Hirabayashi,
Masato Suzuki, Jiro Yasuda, Rokusuke Yoshikawa, Hironori Hayashi, Eiichi N.
Kodama, Yoshitaka Shimotai, Hiroshi Hamamoto, Rohan A. Davis, Teigo Asai*
*責任著者:東北大学大学院薬学研究科 教授 浅井禎吾、准教授 尾﨑太郎
掲載誌:Organic Letters
DOI: https://doi.org/10.1021/acs.orglett.5c02504
URL: https://pubs.acs.org/doi/full/10.1021/acs.orglett.5c02504
本記事は、科学的な研究成果を紹介するものであり、特定の病気の治療法や医学的なアドバイスを提供するものではありません。病気の診断や治療については、必ず専門の医療機関にご相談ください。
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